お出かけするということ。

人はなぜ休日にお出かけをするのか? 人はなぜお家でゴロゴロしてるのがダメだと思うのか? お出かけをした方がなぜか休日を充実して過ごしたと結論づける傾向がある。家でゴロゴロしていたよりも、お出かけでどこかへ行ってきた方が、今日はいい休日だったなと思いやすい。それはなぜなのかということを考えてみたい。

どこかに出かけたからといって何がどう変わるというわけでもないような気がする。お出かけにどんな意味があるのかということだけれども、多くの人は行ってみたい場所があるのだろう。それは好奇心からなのだろう。なので、興味関心がいっぱいある人ほどお出かけしたい場所というのはたくさんあり、興味関心が薄かったり狭かったりする人というのはお出かけしたい所っていうのは減るのだろう。浅くて広い興味関心があれば、お出かけをしたがる。でも興味関心が狭くてむしろ深く極めたい場合は、お遊びで行くお出かけというのはそんなに興味はない。例えば、熱帯魚の趣味を持っている人は、休日でも熱帯魚の世話をしたいだろう。決してお出かけをしたいわけではない。でも、お気に入りのショップには行きたいだろう。それをお出かけというのかどうかは、また微妙だけれども。でも、熱帯魚が好きでたまらない人にとっては、お出かけするかどうかじゃなくて、何か熱帯魚で見たいものがあったら出かけるんだろうし、熱帯魚の素敵なショップに行きたいんだったらそこに出かけるだろう。ただ、それは広く一般的に言われるお出かけとはまた違う話であろう。それはお出かけをするかどうかっていう話でもない。お出かけしたから充実するとかそういう話でもない。お出かけをしたショップが満足いくショップだったら充実したけれども、大した店じゃなかったらつまらなかったと評価できる。お出かけではなかったということになるだろう。